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REPORT
先輩のSTARTING LINE -第5回- 闘病経験を糧にした“伝える”事業を形作るまでのプロセス

岸田 徹さん(NPO法人がんノート 代表理事/国立がん研究センター 企画戦略局広報)

 

図4

『先輩のSTARTING LINE』は、自分らしい生き方・働き方の実践者たちが、どのようにはじめの一歩を踏み出し、トライ&エラーを重ね、今に至るのかに迫った連載シリーズです。

段階を踏んで、前進してきた“先輩方”のエッセンスが凝縮された内容となっていますので、「いつかやってみたい」を「いまやっている」に変えていきたい、「やりたいことが見つからない、まとまらない」、「やりたいことを本当にやって良いのか?」、そんな疑問に対するヒントを得てもらえたらと思います。

第5回は、NPO法人がんノート 代表理事/国立がん研究センター 企画戦略局広報の岸田 徹さんの記事となります。ぜひご覧ください。

※本連載シリーズは、TOKYO STARTUP GATEWAYビジネススクール連続講座 「スタトラ」 の中で行われたコンテンツ「先輩訪問」のレポート記事となります。


 

闘病生活においてロールモデルの存在を力強く感じられたことが原点

ー自己紹介をよろしくお願いします。

岸田と申します。今30歳で、5年前と3年前に胚細胞腫瘍というがんになりました。かなり珍しいがんになると思います。今はNPO法人がんノートと代表と、国立がん研究センターの広報、若年性がん患者団体での外部との窓口、フジテレビさんのホウドウキョクのコメンテーターをしております。元々は渋谷にあるベンチャー企業でインターネット広告の営業、マーケティングを主に行なっていました。今、がんノートでは、イベントの開催、インタビューの発信、企業研修、がん教育活動、患者さんの声を集めた質的な研究といった複数の軸で活動しております。

ー岸田さんの活動の原体験をお伺いしてもよろしいですか?

了解です。発症前の僕は、健康的な生活をしていたと思います。毎週末はジムに通い、食事は健康に気をつけてサラダもよく食べていました。そんなある日ですね、社会人2年目頃に少し首が腫れてきまして。当初は健康診断を受けてもオールAで問題は無かったんですけど、半年後には体調が悪化してしまって。国立がん研究センターにて首、肺と肺の間、お腹のまわりにがんが転移していることを宣告されたんですよね。生存率50%と医師から伝えられ、50%なら何とかなるかもしれないということで、治療に励みました。抗がん剤治療をした際、お見舞いに来てくれたみんなが「頭の形きれいね」と褒めてくれたことを覚えています(笑)。そうした闘病生活をしていたある日なんですが、胸の手術をした夜中にですね、息ができなくなってしまったんですよ。この時、僕はこれで死ぬんだとガチで思いました。支えてくれた人達に恩返しをしたかったと思うと同時に、25年の人生で自分は何もしてこなかったなと考えたんです。この時に、もう少し生きることができるのなら自分の価値を社会に、社会貢献したい!と心から思いました。その夜、看護師さんに鎮痛剤を投与してもらい、翌朝緊急手術をしたおかげで、一命をとりとめることになります。その約1週間後に自分と同じような人に向けて、一緒に闘病頑張っていこうというメッセージを伝えたいと思い、さっそく手軽にできるブログから始めてみることにしました。そこで全てをオープンにして笑いを加えていくと、多くの人たちが見てくれるような ブログに成長しました。

そうした中で、2回目のお腹の手術をした時に後遺症が残ってしまいました。性機能の後遺症です。その後遺症については、医師に聞いてもネットで調べても当時は分からなかったんですよね 。その時僕はがん宣告を受けた以上にショックを受けたんですよね。というのも、病気であれば治療方法といった道筋がまだ見えるけど、その情報がなかったら完全に一人ぼっちになってしまう訳でして。そこから数週間、ずっと検索をしていたら、自分と同じ後遺症を患っていたかもしれない方について記されたブログを 見つけることができました。「その後にどうなりましたか」とお聞きしたら、「自然に3ヶ月したら直りましたよ」とメッセージをくれたんですよね。治る可能性もあることを初めて知れたその時、 自分の暗かった道に一筋の光が開けた気持ちになりました。僕は5年経過した今でも治っていませんが、そうしたロールモデル、先輩の存在を力強く感じられたのが、一番の原体験だと思います。

ーその原点からどのようにがんノートのファーストステップを踏み出されましたか?

15~29歳の若いがん患者の方にアンケートを取ったんですけど、インターネットで情報を仕入れている人が9割いたんです。それはお医者さんから情報を仕入れている人よりも多い数字なんですよ。なので若い世代は皆インターネットで情報を仕入れていることが分かりました。そしてですね、インターネットの中で何を見ているかというと圧倒的に「ブログ」なんですよね。僕も後遺症ができた時に助けになったのはブログでしたしね。さらに詳しく調査を試み、若い世代に「情報には満足できたのですか?」とお聞ききしたら、34%は情報に満足できたけれど、それ以外は満足できなかったというデータが出ました。「なぜ満足できなかったんだろう?」という問いを持ち、より詳しく聞いてみたら、保険、就労、学校、恋愛のことを知りたい層が突出して満足できていなかったんですよ。どちらかといえば医療ではない情報にニーズがあるんだということで、そうしたことを今は当事者の皆さんにお聞きしていますね。

図3

ー今の活動を進められた中で生じた失敗談をお聞かせください。

僕は最初一人で立ち上げたんですね。それから色んな人たちにこの事業についてアドバイスを求めました。そうすると、そのビジネスモデルは成り立たないよ、続かないよと言われ続けたんですよね。なのでまず、インタビューを100回やることを目標に立てました。100回やる中で何か見えてくるんじゃないかと考えたんですよね。そうすると、50回目ぐらいから多くの人が協力してくれるようになりました。ただ、最初から全部一人でやりすぎようとしたのが失敗だったと思います。イベント当日手伝ってくれる人はいましたが、運営から一緒にやってくれる人がもう1,2人いたらもっと早く先へいけたんじゃないのかなと思います。それは起業のために応募したNEC社会起業塾中にも「チームを作りなさい」 というのは散々言われました。なのでその時にはじめてチームを作って、今は約20名ボランティアの方々と一緒に活動をしています。

自分がやりたいからやっていることに立ち返る必要がある

<以下質疑応答>

Q :メディアに関しての質問なんですけど、最初はブログといった最小単位で発信なさっていて、その後インタビュー形式に移行されたと思うのですが、そのタイミングを教えていただきたいです。

移行のタイミングでいうと、ブログはブログで続けているし、がんノートはがんノートの放送で2014年から続けているしといったところですので、全部が並行している感じです。がんノートにおいては、全く初期は分からないことだらけでしたので、本当に色々試行錯誤をしましたね。まずはPCの画面についているカメラで発信するところから始めました。がんノートのイベント場所も今は国立がん研究センターの19階で行っているのですが、最初は都内ある廃校になった教室を借りてそこからスタートしましたね。そこで30回くらいはやりました。

Q :ブログってポジティブなこともあればネガティブなことも書かれると思うんですけど、それについてはどう受け止められていますか?

そうですね。ちょっとだけ有名になってきたら誹謗中傷とかがありました。人のためにやろうと思っているのになぜそうした扱いを受けるのかと、へこむこともありましたね。そのことについてあるがん患者の方と話した機会があって、究極は僕達、自分の為と捉えないとやれないよね、と思うようになりました。人のため人のためと思いやり続けて人に裏切られるとなった時に、どうやってメンタルを持ちこたえるかといったら、これは結局僕がやりたいからやっているんだ、僕がインタビューしたいからインタ ビューしているんだ、僕が発信したいから発信しているんだ、僕が人の役に立つと思っているから勝手にやっているんだというところに立ち戻る必要があると思います。誰かに褒めて欲しい、認められたいなど他人を依存先にしてたらいつか潰れると思っていますね。

図6
限界に1度チャレンジして適切な塩梅を見つける

Q : 「何故自分ががんになってしまったのか?」という、大きな戸惑いを持つ辛い原体験を契機に社会貢献活動を志されたと思うんですけど、行動を継続する上でのモチベーションの管理方法をお伺いしたいです。

「自分が何故?」とはもちろん思いますよね。けどもう皆さんご存知かもしれないですけど、今2人に1人はがんになるんですよね 。パートナーや両親のうち絶対誰かはがんになるんですよ。僕はもう自分自身に「2人に1人ががんになるのなら、早いか遅いかの違いでしかなく、むしろ早かった方が手術に耐えれるはずだ」と、自分自身に言い聞かせていました。 活動していく上でのモチベーションというのは、結構疲れてきちゃうタイミングが確かにあるので、僕はその時はちゃんと休みました。3、4ヶ月くらい活動を休止した時期もあります。仕事と両立が難しくて自分の心が大変だった時に、一回ストップしたんですね。ただ4ヶ月目くらいに心のゲージが上がってきたらまた復活したりしました。楽しくてやっているのにプレッシャーで心が押しつぶされそうな時は休むようにしていますね。みなさんもきっと真面目だと思うので、ある意味真面目にならないように、休むときは休む方が良いと思います。

Q: 情報を拡散させていった方法をお伺いしたいです。

情報拡散方法においては、色んなイベントに足繁く通って、様々な人と知り合えたのが大きかったです。あとその分野でどうやって尖るかというのは、すごく意識していますね。僕達においては、若い人たちががんの情報発信をしていることがポイントかもしれません。あと日本の流れを把握することも意識しています。現時点では何も無いとしても、ちゃんと取り扱う題材について、何が今後この分野で必要になるかを想定して準備をしておく。今、僕たちの場合においては「がん教育」が例としてあげられるかもしれません。がん教育は文科省が推進しており、3~5年後には 全国的に当たり前になっているはずです。今墨田区さんなどと一緒に小学校や中学校で行っていますので、3~5年後、全国的に広 がってきた時には、がん教育の実績があるのですねと思ってもらえる。そういうところをちゃんと予測していく。もちろん、自分がやりたいと感じたもので良いですよ。やりたくないものは絶対続かないので。

Q:足繁く説明会に行かれた中で、どのように人脈を広げたのですか?
どこかに偏ることもなく大きな団体がやっているイベントを満遍なく行きました。それで何個か行く中で繋がりができた方に、おすすめのイベントを教えていただきました。なのでまず最初は何個か足を運び、自分に合うカラーの団体を何個か見つけて、そこから横のつながりを広げていくのが一番良いかなと思います。

Q:どういうスピード感でやっていたのか気になります。

僕はめっちゃ先輩達に “焦らず急げ”と言われるんですけど、結構難しいですよね。これも一回やってみました。1度、イベント を月1回から月4回に増やしてみたんですね。当然ですけど、月4回になると自分が疲弊してくるんですよ。これもう無理だなと思い、結果月2回に減らしましたね。限界に1回チャレンジして、そこから適切な塩梅を探したのが正直なところです。

Q:スタートまでの準備期間ってどれくらいあったんですか。

ほぼ無いです。やりながら変えていきましたけど、2014年1月1日に「がんノート」というドメインだけは取りました。ドメイ ンだけ取って、やりたいと思っても当時の仕事も忙しかったですし、そのまま寝かせていたんですよね。5月くらいになった時に 、1月のイベントで知り合った人から、もしそういうことやるんだったら候補地あるよ、という旨を聞いてから「じゃあできるじゃん」ということで本格的に動き出しました。6月にリハーサルをして、8月に初回の患者ゲストに出演していただいてから、がんノートの活動はスタートしました。そこから色々と変化しながら今日まで続けているんですけど、一番最初は自分なりに小さく始めたと思っています。

Q:ある業界に自分は外部の者として変革をおこしたいと考えているのですが、当事者ではない個人がどうアプローチをしていくのがベストかお伺いしたいです。現場に足を運ぶ中で、外部からしかできないこともありながら、当事者の方にしか分からないことも沢山あると日々感じます。外部の者はどう関わっていくのが良いのでしょうか?

がんノートの場合はスタッフの半分ががん患者ではありません。それと強い組織を作ろうと思ったら、5種の職業の人でチームを作るのが良いなんて話もありますし。何よりも自分にしかできない、外部からしか分からないことって絶対あると思います。当事者の方から「外部の意見だ。分かっていない!」などと槍玉にあげられた場合は、気にしないで良いと思っています。外部だから分かることもあると思いますし、何よりそれでも現場に行かれて学ぼうとされている姿が一番素敵ですので。

鍵は当事者の話を徹底して聞くこと

―最後に新しい取り組みを試みようとしている参加者の皆さんに、エール又はメッセージをお願いします。

“皆さんのターゲットとしている当事者の話を徹底して聞く”。これをどれだけするかに尽きると思います。僕も起業する時にアンケートも取りましたし、ヒアリングも結構しました。皆さんのターゲットとする人の声をどれだけ聞いてすくい上げているか、そこにヒントがあると思います。これをした上で自分の仮説を立てることが重要だと思うので、何人かは直接スタトラ期間中(※2018年2月現在)にアタックしてみて欲しいですね。

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[ PROFILE ]

岸田 徹さん(NPO法人がんノート 代表理事/国立がん研究センター 企画戦略局広報)

1987年、大阪府生まれ。NPO法人がんノート代表理事、国立がん研究センター企画戦略局広報企画室員、フジ テレビ「ホウドウキョク」コメンテーター。大学時代は世界一周をしながら各国で働く日本人を訪ねて回る。 卒業後、渋谷のネット広告会社に入社。しかし1年半後、体調を崩し「胎児性がん」が発覚。全身に転移していたが、抗がん剤や手術など1年半の闘病を経て社会復帰。「全身がんの闘病さえも楽しめた自分の考え方」が誰かの役に立てるのではないかと考え、情報発信を開始。現在は、自分の入院していた病院で広報の仕事にも携わっている。2014年にがん患者インタビューWeb番組「がんノート」を立ち上げ、2016年NPO法人化。社会起業家としても活躍している。

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